ゴッドファーザー PART II

『ゴッドファーザー PART II』(ゴッドファーザー パート ツー、原題: The Godfather Part II )は、1974 年に公開されたアメリカ映画。

監督はフランシス・フォード・コッポラ。

アカデミー賞では9 部門にノミネートされ、作品賞・監督賞・助演男優賞(ロバート・デ・ニーロ)・脚色賞・作曲賞・美術賞の6 部門を受賞。

前作に続いてアカデミー作品賞を受賞する快挙を成し遂げた。

また、1993 年にはアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。

AFI(アメリカン・フィルム・インスティチュート)が1998 年と2007 年に選出した「アメリカ映画ベスト100」では、ともに32 位に選ばれた。

興行的には前作には及ばなかったものの、1,300 万ドルの製作費に対し、アメリカ国内だけで4,500 万ドル以上の興行収入を上げるヒットとなった。

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/ゴッドファーザー _PART_II

『ゴッドファーザー』とは、その映画を観たことがないものでも、その名を知っている、言わずとしれたイタリアンマフィアの話である。

余談だが、本来のゴッドファーザーとは、カトリックでの洗礼時の代父(名付け親)という意味である。

イタリアなどの伝統的なカトリック世界では洗礼時の代父・代母は第二の父母であり、後見人的な存在として生涯にわたり関わりが続いた。

映画、ゴッドファーザーでも、元々、主人公は誰かの名付け親をしており、さらには後見人の役割を忠実に果たしている。

しかし、映画の影響でゴッドファーザーの名称は、名付け親からマフィアのボスまたはファミリーのトップへの敬称のように扱われている。

第二次世界大戦後の世界

古い価値観が壊れた世の中が、「第二次世界大戦後」の世界である。今まで、正しかったもの、強かったものが、弱り果て脆くなった。

公権力は汚職まみれになり、頼るものがなにかが分からなくなり、従来の秩序が崩壊した。

その中で、公権力に媚びず、自らの「ファミリー」をそのカリスマと大きな愛で守護する「ゴッドファーザー」は、強い男、強い父親の象徴となった。

また、マフィアという公権力に反逆する、犯罪組織ではあるが、鉄と血の結束で固く結ばれた強い組織は、秩序が崩壊し、もろくなった世界の救世主に見えたことだろう。

ダークヒーローとは、昔も今現在も、人々の心の憧れなのである。

3 時間22 分というかなりの長い映画

『ゴッドファーザー PART II』は、3 時間越えの長い映画だ。これだけ長くなってしまったのには、理由がある。

前作のゴッドファーザー主人公ヴィトー・コルレオーネの若い頃とその息子マイケルの現在の物語を交差させる内容である。2 つの時間軸を織り交ぜているので、映画2 本分の内容となっている。

しかし、長尺であるからこそ、主人公2 人の心情がしっかりと描かれているのと、それ以外のキャラクター達の様子も丁寧に表現されている。

キャラクター達の様子が丁寧に描写されていることで、映画の中のキャラクター達に感情移入してしまうのだ。

父とその息子、それぞれのゴッドファーザー像

父、ヴィトー・コルレオーネは、9 歳で自分以外の家族を皆殺しにされ、たった1 人でアメリカに渡り、新天地で苦労しながらも、マフィアのドンとして、一大勢力を築き上げていった。

そして息子のマイケルは、その偉大な父からマフィアのドンを継承し、敵対する勢力に対し情け容赦なく粛正をし続けた。

父のヴィトーは、家族(ファミリー)を守るためにマフィアになり、組織(ファミリー)を作ったヴィトーと、家族を守るためにマフィアを継いだ。

しかし、いつの間にか組織を守るために、家族を失っていくマイケルの姿を対比させている。

2 人とも、悪い人間ではない。むしろ、高潔で、男の中の男であり、尊敬すべき男達だ。

しかし、お互いの生きている時代の違いから、一方は家族を築き、もう一方は家族を失ってしまっている。

『ゴッドファーザー』は単なる組織犯罪やギャングの物語ではなく、家族の愛憎とファミリーを守ろうとする男たちの姿が主要なテーマである。

異色の問題作

映画『ゴッドファーザー』の影響で、マフィアの存在が世の中に広く認知されるようになった。マフィアという非合法組織を、理想化する映画には、かなり反発が出た。

しかし、たとえ、非合法組織のドンだとしても、家族を守り、仲間を守る男は、尊敬されるのだ。

ゴッドファーザーの世界の中で、公権力の人間は、かなり汚職まみれで私利私欲に走ったキャラクターで描かれている。だからこそ、アンチテーゼを好む人達に愛される映画なのだろう。

なお、『ゴッドファーザー PART II』は、作品のタイトルに「Part II」を使用した大作映画となっている。それ以降、映画界で、「Part II」をつける映画が出るようになった。

ゴッドファーザーの続編が前作に多少及ばなくても、ヒットしたのは、前作に対する感動が引き継がれたのだろう。

表にけっして出なかったマフィアの内情

マフィアの内情は、長く世の中に知れ渡ることがなかった大きな要因の一つが「血の掟」である。

沈黙の掟、オメルタの掟などとも言われている。

マフィアのメンバーになるための誓いの際、お互いの親指に針を刺して出た血を交わすことで一族に加わったとする儀式から「血の掟」という名前がついた。

マフィアのメンバーは、いかなることがあっても組織の秘密を守ることが求められ、これを破ると激しい制裁が加えられる。

この「血の掟」は、一般住民にも適用されており、観光客がマフィアのことを尋ねても一切答えなかった。

ゆえに、マフィアは長年、秘密の厚いベール覆われた謎めいた存在だった。そのマフィアを扱った映画は、大きな反響を呼んだ。

「血の掟」は俗にマフィアの十戒とも呼ばれる。

以下その条項を紹介する。

  • 第三者が同席する場合を除いて、独りで他組織のメンバーと会ってはいけない。
  • ファミリーの仲間の妻に手を出してはいけない。
  • 警察関係者と交友関係を築いてはいけない。
  • バーや社交クラブに入り浸ってはいけない。
  • コーサ・ノストラにはどんな時でも働けるよう準備をしておかなくてはならない。それが妻が出産している時であっても、ファミリーのためには働かなければならない。
  • 約束は絶対的に遵守しなければならない。
  • 妻を尊重しなければならない。
  • 何かを知るために呼ばれたときは、必ず真実を語らなくてはならない。
  • ファミリーの仲間、およびその家族の金を横取りしてはならない。
  • 警察、軍関係の親戚が近くにいる者、ファミリーに対して感情的に背信を抱く者、素行の極端に悪い者、道徳心を持てない者は、兄弟の契りを交わさないものとする。

満を持してロバート・デ・ニーロ

青年時代のヴィトーを演じたロバート・デ・ニーロは当時無名だった。

前作でソニー役のオーディションを受けていたが、役のイメージとは合わずに最終的に起用されなかった。しかし、コッポラはデ・ニーロの存在感や演技力を心に留めていた。

その後マーティン・スコセッシ監督の『ミーン・ストリート』のデ・ニーロを見て、コッポラは彼こそヴィトーの青年期を演じるのにふさわしい俳優だと確信した。

そして、デ・ニーロを青年時代のヴィトー役に抜擢された。

その判断通り、デ・ニーロは絶賛され、アカデミー助演男優賞を受賞、ほとんど英語を話さずにオスカーを獲得した珍しい例となった。

前作で晩年のヴィトーを演じたマーロン・ブランドは主演男優賞を受賞している(後に拒否)。

青年期と晩年という違いこそあれ、同じ人物を演じてオスカーを得た俳優は、ブランドとデ・ニーロの二人のみである。

なお、デ・ニーロが、若き日のヴィトーを演じる役作りのために、わざわざシチリアに滞在し、シチリア混じりのイタリア語をマスターした。

その後、前作のゴッドファーザーを演じたマーロン・ブラントのしゃがれた声を真似るためにさらなる練習をするなど、かなりの努力家である。

デ・ニーロの役になりきるための努力を惜しまない姿勢は、有名な話である。

賞賛される反面、「イタリア=マフィア」のマイナスイメージを植え付けた人物として、イタリアの一部市民団体から「著名なイタリア系移民」の表彰に対し、抗議されている。

(2006 年にイタリア名誉市民権が授与された)

ビジネスとしての名言満載

「ゴッドファーザー」には、ビジネスにおいて役立つ名言が満載である。

その中のいくつかの事例を紹介する。

1:人生とは操り操られるもの
2:家族と時間を過ごすのが本物の男
3:欲しいものは少々無茶をしても手に入れる
4:手のひらを身内以外に漏らさない
5:受け継がれる血
6:家族の敵側に絶対に立つな
7:健康がいちばん大事
8:敵の懐へ入りこめ

1:人生とは操り操られるもの、について

ゴッドファーザーのロゴは、操り人形を模したデザインになっている。

前作のシーンになるが、ヴィトーがマイケルに、

「私は家族を守るために一生懸命やってきた。そして大物たちに操られることを拒んで来た。次はお前に、大物たちを操る立場に立ってほしいと思っている」

と話すシーンがある。人は人を操り、また操られるもの。という深い意味がゴッドファーザーの話の大きなテーマの一つとなっている。

その他の名言も、ビジネスにおいてかなり参考になる。反社会組織だからこそ、鉄壁の絆が求められ、かつ高いビジネスセンスが必要だということがうかがえる。

愛と憎しみは表裏一体

家族を守る男達がテーマの物語である『ゴッドファーザー PART II』。

初代ゴッドファーザーのヴィトー・コルレオーネ、そして、その座を継いだ息子のマイケル・コルレオーネ。

1 人は家族を築き、一大勢力にまでのし上がった。それを継いだ息子は組織を守るために、自身の家族を失っていく、対照的なストーリーが2 本立てとなっている。

この2 人の違いは、お互いの生きる時代と目的に対する手段の違いである。

2 人とも家族に対する愛情にあふれる男達だ。ヴィトーは関係を重んじ、調整役として有能だったため、ゴッドファーザーとも呼ばれていた。

しかし、マイケルは「恐怖」を手段とし、武器や資金、相手の弱み、殺人も実行し、組織に優位になるよう駆け上がってきた。

マイケルの時代は、戦後の好景気の中、闇社会のビジネスが大きな転換点を迎え、時間のスピードがビジネスにおいて重要だった。それゆえに、手段が苛烈を極めてしまった。

そんなマイケルを家族は冷酷な人間に写り、彼から離れていってしまった。経済的に豊かになれば、家族を守れる。

これは、家族を守る男なら目指すゴールである。ヴィトーとマイケルは、そのゴールに向かって必死に戦った。

しかし、ヴィトーは絆を育み、マイケルは家族との溝を深める結果となった。マイケルは偉大な父を目指して、家族への愛のために戦ったがゴッドファーザーになれなかった。

父ヴィトーの物語は、息子のマイケルにとって負の遺産であり、なんと呪いだったのだ。