年賀状じまいは無理にしなくていい。

12月15日に全国の郵便局で年賀状の受け付けがスタートしました。

年賀状発行枚数は2009年から右肩下がりで毎年大幅減を繰り返していますが、ここにきて「紙の年賀状じまい」に留まらず、「すべての年賀状じまい」をした人が増えているようなのです。

なぜ急速にこの流れが進んでいるのでしょうか。

手間を減らすと年賀状は減っていく

まず紙の年賀状をやめた理由としてアンケートや街頭インタビューなどで最もあげられているのが、「面倒だから」「時間がないから」の2つ。

LINEやメールなどにすれば、はがきを買ったり書いたり投かんするなどの手間は減り、時短につながるのは間違いありません。

SNSが一般的に浸透した今の世の中では年賀状の代わりに人とつながる手段はたくさんあるため、わざわざ年賀状を使う必要がないと考えるのも納得です。

しかし、1度でもそれに慣れたら、LINEやメールすら「面倒だから」「時間がないから」と感じ始めるのが人の心。

さらに、「LINEやメールで送る年賀状は、あまり意味ないかもしれない」という感情につながりやすく、親しい友人以外は送らなくなる人が少なくないようなのです。

年賀状に関しては、もともと新年の挨拶にうかがう年始まわりの代わりに行う風習。

「訪問する」という手間がかかることを簡略化したものだけに、さらに簡略化してオンラインにし、さらに簡略化して「なし」に……と考えるのは自然な流れなのかもしれません。

「まだ送っているけど、本当はどうしようか迷っている」という人もいるでしょう。

ただ、前述した簡略化の流れはまだまだ進みそうなだけに、「年賀状の数は放っておいても減っていく」と考えるのが自然。

無理して年賀状じまいするほどではなく、数年かけて段階的に行ってもいいですし、「この人は年賀状じまいしよう」などの個別対応をしていけばいいでしょう。

今の20代は2人に1人が年賀状を書かないのだとか。

SNS世代以降に生まれた人は書かない人の割合が大きくなることを思うと、10年後20年後に年賀状が存続できるのかは怪しいところです。

年賀状マウントはスルーする

そして今年、「年賀状じまい」以上に話題となっているのが「年賀状マウント」というフレーズ。

これは子ども・ペットの写真や結婚式・新築した家の写真、子どもの高学歴がわかるような年賀状などを見て「マウントを取ろうとしている」と感じるものです。

複数のメディアが「無意識でやっているから要注意」と呼びかけています。

確かに年賀状は、相手に感謝や友愛の気持ちなどを伝えるものであり、行きすぎた自己アピールは「上から目線」「ただの自慢」と思われかねません。

ただ、過剰な配慮は不要でしょう。自分に届いた年賀状を見て「マウントを取られている」と感じたら、「その人とは少し距離を取ればいい」というだけの話。

その大半は多少の幸せアピールであってもマウントとまでは言えず、「今わかり合えない」というだけです。

これからの人生で共感し合える関係性になるかもしれないので、感情的に絶縁しないほうがよさそうです。

「良好な関係の人だけに出す」という簡略化の流れが進んでいる今、マウントに過剰反応する必要性ありませんし、そもそも自分と誰かの幸せを比べること自体が不毛。

正月くらい幸せ自慢できる世の中であってもいいような気もします。

「正月から誰かの幸せを妬む人が多い」という悲しい世の中にならないためには、みんなで配慮するよりも、年賀状マウントそのものを気にしないほうがいいのではないでしょうか。



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