『羊たちの沈黙』(ひつじたちのちんもく、The Silence of the Lambs)は、1991年公開のアメリカ映画。監督はジョナサン・デミ。原作はトマス・ハリスの同名小説。
主演はジョディ・フォスター、アンソニー・ホプキンス、スコット・グレン。第64回アカデミー賞で主要5部門を受賞。
アカデミー賞の主要5部門すべてを独占したのは『或る夜の出来事』、『カッコーの巣の上で』に次いで3作目である。
興行的にもヒットし、1,900万ドルの予算に対し、全世界で2億7千万ドルの興行収入を上げた。
『羊たちの沈黙』は、1991年に一時的にヒットしたのみならず、現在に至るまで続編やスピンオフのドラマが続いている。
その根強い人気を分析する。
凶悪犯罪者の人を惹きつける引力
『羊たちの沈黙』では、アンソニー・ホプキンス演じる、連続殺人鬼ハンニバル・レクターがあまりにも有名である。
アメリカ映画遺産を保護する機関AFIによる「アメリカ映画の悪役ベスト50」で第1位にランキングされるなど、強烈な印象を残したキャラクターである。
ハンニバル・レクターは、高名な精神科医であり、猟奇殺人をいくつも犯したシリアルキラー。
殺害した人間の臓器を食べることから「Hannibal the Cannibal」(人食いハンニバル)と呼ばれている。
人間の臓器を食べるだけでもおぞましい行為だが、単に死体を切り刻んでそのまま食べるのではない。
プロのシェフ顔負けの調理をした上で、優雅にテーブルに盛り付け、まるで高級レストランで食事するかのように食べるのである。
なお、『羊たちの沈黙』の中では、ハンニバルはすでに獄中の身なので、このようなシーンはない。後に公開された映画からの情報である。
しかし、ハンニバルの異常性を伝えるために表記した。
このように、許されざる異常殺人鬼のはずが、なぜこれほど多くの人を惹きつけるのだろうか?
ひとつは「恐ろしいもの」に注意を向けてしまうという本能が人には備わっている。
注意を向けることで、それからどう回避するか学習し、自分の身の安全を保つ本能が関わっているのかもしれない。
そして、ふたつ目は、自分に悲劇が起こっていないことを確認し良かったという気持ちの現れなのかもしれない。
人間には、自身の中に天使と悪魔と表現される2種類の自分を持っているとされている。それは、人は善と悪の二面性があることを示している。
だからと言って、ほとんどの人は犯罪を犯すほどの凶悪事件を起こさない。それは、人は自分の内面の「棲み分け」ができているからだ。
ただし、善悪の「棲み分け」ができていたとしても、いつかその「棲み分け」が破られるのではないか。
ということも認識しているゆえに、凶悪な事象に惹きつけられ、自分の中の悪を見つめているのかもしれない。
プロファイリング
プロファイリングは、『羊たちの沈黙』をきっかけに日本でも広く知られるようになった言葉だ。
犯罪者の捜査は、刑事が長年の経験を元に犯人を捜査する事が一般的だった。
しかし、プロファイリングは、行動分析や科学的根拠にした統計学を元に犯人を推論するものなので、個人の主観が入らない。
ただし、個人の主観が入らないから正確かというと、あくまで統計学なので、あてはまらない場合はある。
しかし、多発する殺人を解決するための支援ツールとしてプロファイリングは、アメリカで発達し、FBIの捜査で活用されるようになった。
余談だが、プロファイリングの始まりの歴史はかなり曖昧なので、いつどこで発祥したのかは不明である。
一説によると19世紀末の英国で「切り裂きジャック」事件の犯人の性格を警察医のトーマス・ボンドが予想し、このプロファイリングをFBIのプロファイラーが犯人像の推測に活用しようとした。
しかし、結局犯人逮捕には至らなかったので、捜査に活かされたかは不明である。
『羊たちの沈黙』の作者トマス・ハリスは、元FBI捜査官・プロファイラーのロバート・K・レスラーからプロファイリングについて情報提供を受けて執筆した。
しかも、『羊たちの沈黙』執筆に6年も費やしているので、かなり緻密に話を練り込んだことが伺える。
アンソニー・ホプキンス
連続殺人鬼ハンニバル・レクターを演じたアンソニー・ホプキンスは、映画の中での登場シーンは、たったの4シーン、しかも11分だけの出演である。
これだけ短い出演時間であるにもかかわらず、他の俳優達を圧倒した存在感はまさに名優である。
アンソニーは、『羊たちの沈黙』の脚本を読み始めた時、エージェントに「これは一生に一度の役だ」と言ったそうだ。
なお、アンソニーは、ハンニバルのインパクトが強すぎてサイコなイメージがついてしまっているが、慈愛深いヒューマニックな役柄を演じるなどその芸風は幅広い。
彼の演技スタイルは、台本を最低200回読むなど、徹底的に台本を読み込み役柄を理解するスタイルをとっている。
「演技というものは絵空事であって、その要素はすべてシナリオの中にある」という持論を持っているためである。
徹底的なリアリティを追求するロバート・デ・ニーロとは対極にある。
脚本家の書いた台本(シナリオ)のチェック・暗記は徹底的に行い、その台詞を忠実に再現した上できわめて自然に役柄の本人になりきっている。
実は、ハンニバル・レクターの第一候補はショーン・コネリーだったが、オファーを断られたので次点のアンソニー・ホプキンスになった。
さらに、ヒロインのクラリス役はミシェル・ファイファーが第一候補だったが、こちらも断られたため、売り込んでいたジョディ・フォスターが役を得た。
痛みをテーマにした哲学
『羊たちの沈黙』の冒頭のシーンから、この映画のテーマやメッセージがわかる布石が所々に打たれている。
クラリスがFBIの訓練用のトレーニングコースでランニングをしているシーンにて、木に貼ってある言葉に『HURT, AGONY, PAIN, LOVE IT』(苦しさ、悶え、痛み、痛みを愛せ)
つまり、「痛みを愛し、乗り越えろ」。これがこの映画のメッセージである。
単に、猟奇殺人犯のサスペンスを楽しむものではないところが、この映画に深みを与えている。
ところで、「痛み」に焦点を当てると、『羊たちの沈黙』の見どころが分かってくる。
まずは、ヒロインのクラリス。
彼女は、なぜか殺人鬼ハンニバル・レクターに気に入られている。
これを疑問に思う人も多い。
しかし、彼女は礼儀正しく、ハンニバルに対して敬意を持って接している。
そして、過去に父の死、引き取られた先で叔父が子羊を屠殺している場面を見てしまったことで深いトラウマを持っている。
さらには、FBIという男性社会の中の女性として、日常的に心理的痛みを男達から与えられながら生活している。
クラリスの恋愛的描写がないことから彼女が男に対して嫌悪感を持っていることがわかる。
しかし、その痛みを乗り越え、FBI捜査官として精進している彼女に対しハンニバルは、ある種の敬意をクラリスに感じているのかもしれない。
そして、クラリスが捜査している連続殺人鬼バッファロー・ビル。バッファロー・ビルは子供の頃、神経に異常をきたすほどの激しい暴行を受け続けました。
バッファロー・ビルの異常者としての人格が形成され、そのせいで性転換願望を持つようになったと思い込んでいるのです。
彼の場合は、殺人という手段で自分自身を正当化し、痛みに執着することで被害者達の生皮を剥ぐという残忍な犯罪を繰り返している。
クラリスとバッファロー・ビルの共通点は「過去の痛み」である。
そして、その痛みを愛することで、結果や行く末が違ってくることを、クラリスとバッファロー・ビルが対照的な生き様から分かってくる。痛みを乗り越える。
これが『羊たちの沈黙』の伝えたい本質的なメッセージである。
なお、タイトルの『羊たちの沈黙』とは、クラリスのトラウマの原因である殺された子羊たちの鳴き声を、助けを求める犯罪被害者の助けを求める声である。
ひいては、トラウマを受けたクラリスの嘆きが聞こえなくなった時、クラリスは本当の意味でトラウマを乗り越えたことを意味している。
痛みを愛する
人は、自分の内面に暗くて恐ろしい暗闇を意識している。だからこそ、その暗闇が自分を飲み込まないかを確認したい欲求が常にある。
犯罪を犯すかそうでないかの境界線は、遠いようで実は案外近い。
シリアルキラーや殺人鬼と呼ばれる犯罪者は、一見すると人が良い、むしろ魅力的な人間に見える。ハンニバルのモデルになった犯罪者は4人いると言われている。
そのうちのひとり、テッド・バンディは、30人以上の女性を殺害した犯罪者だが、大変な人気があり、彼の追っかけがいたほどである。
近年はテッド・バンディの映画も公開されており、映画やドラマの犯罪ものは、いつも人気がある。恐ろしいものを見ることで、人は自分が安全なところにいる再確認をしたいのかもしれない。
『羊たちの沈黙』で、クラリスと、バッファロー・ビルの過去の痛みに焦点が当てられていたが、ハンニバルの痛みをより知りたいと熱望する人が大勢いるのだろう。
ハンニバルに焦点を当てた映画やドラマはいまだに作られ続けている。
彼の痛みを乗り越えるところに興味が集まっているのか、または、彼を知ることで、自分は正常だということを確認したい人が多いのか、どちらなのかは分からない。
今度は、ハンニバルではなく、クラリスを主人公にしたドラマが放映される予定であると、2020年1月にアメリカのCBSが発表した。